白川和子

■白川和子(しらかわ かずこ)

□肩書き
 俳優

□本名
 小西郁子

□生年
 1947(昭和22)09.30(天秤座)

□出身地
 長崎県東彼杵郡波佐見町

□出身校
 都立目黒高校
 跡見学園女子短期大学文学部美術史学科中退

□略歴(満年齢)
 67年(20歳)映画「女子寮」主演。
 71年(24歳)映画「団地妻 昼下がりの情事」主演。
 89年(42歳)朝ドラ「青春家族」出演。
 ※他の主な出演:
  舞台 「雪国」「女系家族」「椿姫」
  映画 「ワンダフルライフ」「婚前特急」「ペコロスの母に会いに行く」
  ドラマ「毎度おさわがせします」「白線流し」「てるてる家族」
  テレビ「ごごナマ」

□趣味
 麻雀
■白川和子

□幼少時代〜
・父親は防衛庁の役人。
・妹がいる。
・父親の躾はとても厳しかった。
 テレビはNHKしか見ない堅い人だった。
・母親は風呂場でスリップ姿で踊る陽気な人だった。
・ガリ勉で成績優秀だった。
・子供の頃から演じるのが好きだった。学芸会で何度も主役をやった。
・高校時代、演劇部。
 俳優座の舞台を観て市原悦子に憧れていた。授業中に戯曲集を読だ。
・跡見学園女子短大はお嬢様学校。

□私生活
・得意料理…すいとん。
・子宮がんを手術。
・51歳の時に脳梗塞を患った。
・住んでいる所…神奈川県相模原市(=14.05現在)。
・よく電車を利用する。
・大阪・千里のマンモス団地に住んでいた時、
 元ポルノ女優という事で団地の住人からいじめられた。
 毎日住人からいたずら電話がかかってきた。
 住人による追放運動があった。
 子供が学校でいじめられて登校拒否になった。
 あえて団地の自治委員に立候補して戦った。
・日活の経営不振で夫の給料が遅配になり、米と塩と水で餓えをしのいだ時期があった。
・小西との最初の結婚は小西の浮気や長男との軋轢などでで破綻。
 長男は一時グレて暴走族に入っていた。

□人間関係
・ジジ・ぶぅ…コンビ「6070これからだ」を組んでM-1グランプリに挑戦。
・大鵬…大鵬の大ファンだった(学生時代)。
 入院中の大鵬の見舞いに行った。
・小西俊夫…日活関西支社社員。73年結婚、80年離婚、86年復縁。
 17歳年上。前妻と死別。
・子供:
 長女…直子。小西の連れ子。
 長男…太郎。小西の連れ子。
 次女…麻貴。73年誕生。

□エピソードなど
・短大1年の時、スカウトされて劇団赤と黒に入団、
 成人映画の合間に上演するピンク舞台に出演。
 ※当時は女子大生が人前で裸になるのはとても珍しい時代だった
・大学時代に雑誌「平凡パンチ」の企画で三島由紀夫と対談、
 「精神と肉体を両方同時に鍛え高めるのが美、大いに脱ぐべきだ」と言われた。
・ピンク映画「女子寮」に出演した時、男性経験が一切なく、キスの仕方もわからなかった
 (キスは鼻と鼻をつけるものだと思っていた)。
 バージン喪失シーンの撮影で痛がっている表情を撮る為に監督に太腿をつねられた。
・ピンク映画時代は衣装やメイクを自分で考えていた。
・新人時代、連れ込み旅館で壁にコップを当てて隣の部屋の声を聞いてあえぎ声を研究。
・自分の出演シーンでオナニーをしている客が何人いるか映画館でチェックした。
・200本以上のピンク映画に出演。
・にっかつロマンポルノ第1作「団地妻 昼下がりの情事」主演。
・「団地妻 昼下がりの情事」は1億円を超えるヒット、ロマンポルノブームを引き起こした。
 1年半で20本に出演して「ロマンポルノの女王」と呼ばれた。
・にっかつ時代、ギャラは給料制で当初は10万円、最後の方でやっと20万円だった。
・両親に内緒で大学に通っているふりをしながらピンク映画に出ていたが、
 にっかつに移籍後に新聞広告でバレて家出。
 「申し訳ないから防衛庁を辞める」という父親に対して
 「この仕事を辞めるくらいなら死ぬ」と抵抗した。
・ロマンポルノ出演で妹の結婚が破談になった。
・アイドル女優として大学の学園祭に呼ばれた。
・早稲田大学で引退阻止集会「白川和子さよならの総括」が開かれた。
・ドラマ「いのち輝いて」主演(半生記「いのち輝いて」のドラマ化=89年)。
・子育てに関する講演を多数開催
・自宅を「爆報! THE フライデー」で公開(=14年5月2日放送分)。
・ワハハ本舗の舞台にゲスト出演(=18年)。
・台詞がない小さな役でも映画に出たい。
・主な著書:
 「いのち輝いて」(潮出版社=87年)
 「くもりのち晴れときどき大雨注意報」(潮出版社=89年)
 「わたしの家  族革命」(潮出版社=99年)
タイトルとURLをコピーしました